日本独特の文化である運動会は、
規律と忠誠心を植え付ける為の軍事訓練が起源であると言われています。
ラッパで一糸乱れぬ行動を一方的に求められ、
皆と違う行動をしようものなら連帯責任として権力者から
懲罰を下される。といったものでした。
日本の学校教育には長くこのような思想の名残があり、
残念ながら現代においても、出来たか出来なかったか。
という成果主義的に子どもを評価する場面がしばしば見聞きされます。
日本もようやく子ども主体の教育にシフトしてきて、
運動会という教育活動についても、
当日の成果よりこれまでの取り組みの過程における子ども達の気付きや
経験にその教育的意図を見出すようになってきました。
このような背景を踏まえ、
法律に定められた乳幼児教育保育施設である私達は
子どもの内面の育ちに促した教育活動を展開しなければなりません。
例えば、年少児は自己発揮をしながら、
集団遊びができるようになる発達段階を迎えたからこそ、
動物になりきって仲間と同じリズムを体感する活動に取り組みました。
これを模倣遊びと言います。
「同じだね」「楽しいね」といったやり取りの繰り返しによって、
仲間の存在へと意識が向かい、これからの集団性の芽生えを支えるのです。
年中児は自己発揮を存分に出来るようになってはいるものの、
まだまだ仲間と力を合わせる事の器用さは持ち合わせていません。
だからこそパラバルーンの活動を介して
「みんなで膨らまそう!」「みんなで飛ばそう!」という経験の機会を設けたのです。
年長児は、自己有能感に満ちあふれる時期です。
「ボクたちワタシたちってすごいでしょ!」という気持ちが子ども達に
満ちていくことを思うと、自分達の自信を持って出来る事より、
ちょっとだけ難しいかもしれない事に仲間の力を借りて乗り越える経験が必要なのです。
その教育的機会として、今年の子ども達は「組体操」に挑戦するそうです。
特段、年長は組体操をしなければならない。と決まっているわけではありませんが、
子ども達同士の話し合いの中で、活動内容が選ばれていきました。
もちろん、競い合いの経験や勝ち負けによる喜びや
悔しさといった気持ちも子ども達の育ちにとっては必要な感情体験です。
ですから、かけっこやリレーの際には順位を付けます。
みんなで手を繋いで一緒にゴール。なんて事はしません。
このように考えていくと、子どもが育つ上で
大切にしなければならない事が見えてくると思います。
子どもが主体的に自分たちの生活を紡いでいくという事は、
大人側から一方的に結果や成果を求められるのではなく、
その過程の中に見出されるそれぞれの育ちの姿を大切にする。という事なのです。
つみきの運動会を通して、子ども達の内面にどんな育ちの芽生えが見られるのか、
とても楽しみにしています。
保護者の皆さんには、お家に帰った後にしっかりと抱きしめて
「友達と笑い合ってる姿が素敵だったよ」
「ドキドキして泣いちゃったのに最後まで参加できて素敵だったよ」などなど、
成果にとらわれない豊かな愛情と素敵だった視点を
言葉で子ども達に伝えてあげていただきたいな。と願っています。
園長 若林卓実